トランスレーショナルシミュレーションとは何ですか?
トランスレーショナルシミュレーションは、問題を診断し、システムを改善し、より安全で効果的なケアを設計するためのアクティブなツールとしてシミュレーションを活用することに焦点を当てています。
詳細そして、代わりに何をすべきか
医療の質に課題が見つかったとき、多くの場合、スタッフ教育の強化や手順の見直し、新たな方針の導入といった対策が取られます。しかし、こうした受け身の改善策だけでは、持続的で大きな改善を実現することは困難です。
患者アウトカムの向上とリスクの低減には、システムそのものを評価・検証し、継続的に改善していくアプローチが欠かせません。その実現を支えるのがシミュレーションです。
ヴィクトリア・ブラジル博士
ボンド・トランスレーショナル・シミュレーション・コラボラティブディレクター; ボンド大学救急医学教授兼シミュレーションディレクター

ICUでのヒヤリ・ハット事例。分娩現場で計画どおりには対応できなかった大量出血症例。救急外来(ED)での患者引き継ぎ時のコミュニケーションエラー。
こうした事象が発生した後、多くの医療機関では、従来から行われている医療の質改善(QI: Quality Improvement)活動として、次のような対応が取られます。
このような対応に見覚えはありませんか?
もしそうであれば、それはあなただけではありません。そして、おそらく期待したほどの成果が得られなかった経験もあるのではないでしょうか。
それも無理はありません。前述の対策はいずれも受け身のアプローチ(Passive Methods)であり、問題の原因をシステムそのものではなく、個々のスタッフの知識不足や注意力、モチベーションの問題に求める考え方に基づいているからです。
そして実際には、こうしたアプローチでは十分な改善につながらないことが少なくありません。
そして、これらはしばしば失敗に終わります。
米国医療研究・品質調査機構(AHRQ)による安全報告書の分析や関連研究では、多くの有害事象の根本原因は、知識不足ではなく、コミュニケーションの不備やシステム・プロセス上の問題にあることが一貫して示されています。
それにもかかわらず、問題が発生すると「スタッフへの再教育」が改善策として選ばれることが少なくありません。その結果、問題の本質がシステムにあるにもかかわらず、個人に責任や負担が向けられてしまうことがあります。2
プロトコルや手順書は重要です。しかし、それらが実際の現場環境で、実際のチームによって、現実に近いプレッシャーの下で繰り返し検証されなければ、いざという時に期待どおり機能しない可能性があります。
方針や手順を定めるだけでは、必ずしも現場の行動変容につながるとは限りません。
- Dr. アンドリュー・ペトロソニアック (MSc, Med Ed, FRCPC),
トロント、セント・マイケル病院の救急医師および外傷チームリーダー

文書による周知は意識向上には役立つかもしれませんが、新しい業務プロセスや行動習慣を定着させることはできません。実践やフィードバックの機会がなければ、パフォーマンス上の課題は解消されないまま残ります。
「優れた組織や業務プロセス、システムを設計することは、あくまで出発点に過ぎません。重要なのは、従業員が新しい行動を受け入れ、実践できる環境をリーダーシップが整えることです。その際には、新しい取り組みの定着を妨げ、変革の実現を阻むさまざまな障壁を取り除く必要があります。」4
- トレーシー・サーコウ と アデライド・ユベール,
ベイン&カンパニー
処分や責任追及を中心とした対応は、「問題はシステムではなく個人にある」というメッセージを組織内に与えてしまいます。
その結果、スタッフの士気が低下し、不安や萎縮を生み出すだけでなく、インシデントやエラーの報告をためらわせる要因にもなります。そして、その間にも問題の根本原因は解決されないまま残ってしまいます。
「医療従事者は、しばしば“人間であること”に対して罰せられています。こうした風潮は恐怖心を生み、エラー報告を抑制し、結果として患者安全を脅かします。
重要なのは、エラーが起きた際に『誰が悪かったのか』を追及することではありません。『何が起きたのか』『そこから何を学べるのか』『システム全体をどのように改善できるのか』に焦点を移す必要があります。」5
- マーカス・シャバック,
ECRIの社長兼CEO
シミュレーションは、これまでの方法に代わる強力な選択肢です。
それは、問題が発生してから対応する「事後対応型」の改善ではなく、システムそのものに着目し、積極的に学びと改善を促進する「能動的な」質改善アプローチです。シミュレーションを活用することで、医療機関は受け身の対策から脱却し、継続的な学習と改善へと移行することができます。
- Dr. Andrew Petrosoniak, MSc (Med Ed), FRCPC,
カナダ、トロントのSt. Michael’s Hospitalにおける救急医師兼外傷チームリーダー

急性期小児医療の質向上を目的として、98名の参加者を対象に29回の院内(in situ)シミュレーションが実施されました。
これは、小児救急外来で発生した有害事象の重要インシデント分析の一環として行われたものです。その結果、以下のような問題点が明らかになりました。
・重要な3種類の薬剤が継続的に欠品していた
・必要な消耗品が不足していた
・スタッフが重要機器の設置場所や使用方法を十分に把握していなかった
結果:シミュレーションによって特定された課題を受け、以下のようなシステム改善が実施されました。
・薬剤管理の責任プロセスに薬剤部門(Pharmacy)を正式に組み込む
・救急スタッフ向けの処方確認シート(Rxチェックシート)を導入する
・定期的な在庫管理プロトコルを整備する
・不足していた知識・技能を補うための追加トレーニングを実施する7
トロントのセントマイケルズ病院では、12回の外傷対応シミュレーションを実施した結果、150件以上の重大な潜在的安全上の脅威(Latent Safety Threats)が特定されました。
シミュレーションを通じて得られた知見をもとに、
・外傷初療室(Trauma Bay)のレイアウト改善
・ワークフローの見直し
・より迅速で連携の取れた診療体制の構築
が実現しました。
結果: 実際の外傷症例において、チームパフォーマンスの一貫性が向上し、医療エラーの減少につながりました。⁸
ネブラスカ州にあるブライアン・ヘルスでは、地方の病院において産後出血のシミュレーションを実施し、緊急プロトコルや必要な資機材の配置に関する課題が明らかになりました。
結果:
・産後出血対応カートの配置を見直し
・血液供給・搬送プロトコルを改訂
・チーム間のコミュニケーションフローを明確化
するなどの改善が行われました。
ある医師は次のように述べています。
「産科チームがシミュレーショントレーニングを修了したわずか1週間後、大量輸血プロトコルを必要とする産後出血症例に実際に対応する機会がありました。シミュレーションでの学びをすぐに実践で活かすことができ、その価値を強く実感しました。シミュレーションは非常に有益でした。」9
シミュレーションを活用することで、問題が起きてから対応する「受け身の改善」から、問題を未然に発見し改善する「能動的な質改善」へと転換することができます。
適切な課題を特定する
繰り返し発生するリスクや課題に着目します。
・血液製剤の搬送遅延
・院内急変対応チーム(コードチーム)の連携
・新生児の引き継ぎ
・産科出血への対応
・投薬エラー
現場に即したシミュレーションを実施する
実際の医療機器、スタッフの役割、施設環境を使用したインサイチュ(現場型)シミュレーションを行います。
システムの機能を観察する
チーム内のコミュニケーションがどのように行われているかを観察します。
・どこで情報伝達が滞っているか
・どの場面で迷いや遅れが生じているか
・必要な設備や手順に不足はないか
といった視点でシステム全体を評価します。
デブリーフィングと共同改善を行う
現場スタッフとともにデブリーフィングを実施し、得られた気づきを共有します。
その知見をもとに、
・ワークフロー
・レイアウト
・手順書やポリシー
などの改善につなげます。
再度シミュレーションで検証する
改善後のプロセスで再度シミュレーションを実施します。
改善効果やチームの自信の向上を評価しながら、さらなる改善点を確認します。
定着と継続的な強化を図る
シミュレーションを繰り返し活用することで、チームに必要な行動や判断を定着させ、継続的な改善を支える「組織の筋力(muscle memory)」を育みます。
スタッフの再教育や新たな手順書の策定、通知文書の配信といった受け身のアプローチだけでは、システムに潜む根本的な課題を解決できないことが少なくありません。
一方、シミュレーションは、課題を発見し、解決策を検証し、より安全な医療を組織に定着させるための、能動的かつ協働的なアプローチを提供します。
継続的な改善は、自然に実現されるものではありません。また、通知文書を配信するだけで達成できるものでもありません。
シミュレーションを活用することで、問題発生後の対症療法的な対応から、組織全体を変革する継続的な改善活動へと移行することができます。